関西現代俳句協会

「椿」 吉本 伊智朗 - 2005年2月のエッセイ

私は花にうといと思われている。花の句が極端に少ないのだから仕方がない。しかしその故に関心は強いぞといっているのだが――。

虚子はその忌日を椿寿忌というように、椿が好きだったようである。それに倣ったわけではないが、私の関心は梅や桜より椿の方にある。ちょっと暗さを持っているところが日本的と思うからだろう。

木扁に春と書いて椿だから、春の代表だったに違いないが、いつしか梅や桜にとって代わられたらしい。春といいながら年中見かけるようだし、同類の山茶花や侘助などややこしいこともあって損をしているのだろう。その花から採る蜜と、実から採る油は第一級だというのに、である。

それに考えてみれば、春夏秋冬の字を持った木や魚は、いずれも第一級又は代表の座を他にゆずっているようなのである。鰆、榎、萩、柊などがそうだが、詩的という面では勝っているかと思われる。