「好きな時間」 豊田都峰 - 2005年4月のエッセイ晩夏 停車場のプラットホームに 南瓜の蔓が匍いのぼる 閉ざされた花の扉のすきまから てんとう虫が外を見ている 軽便車がきた 誰も乗らない 誰も降りない 柵のそばの黍の葉っぱに 若い切符きりがちょっと鋏を入れる 木下夕爾の作品である。なつかしい風景であり、特に終わりのあたりがしゃれているが、このメルヘン風のリリシズムがたいへん好きである。時々、 夕爾の作品を読んで、詩的な風景を楽しみ、明日への詩的蓄積というような時間にしている。 俳句を作るために、私は俳句を読むより、詩を読む方がよいと思っている。 夕爾の場合でも、このような詩的世界の中で彼自身、俳句を作っている。たいへん好きな作品のひとつに 家々や菜の花いろの燈をともし がある。昭和23年作。彼は昭和21年久保田万太郎主宰「春燈」を創刊した時から参加するが、19年に創刊された安住敦らの「多麻」に投句していた関係からである。この作品は「家々や菜の花いろに灯ともせる」であったのを万太郎が掲句のように添削したと聞く。いずれにせよ「菜の花いろ」の家々の明かりの特に好きである。 夕爾の初期のものに 花蕎麦に雲多き日のつづきけり があるが、私好みの風景である。私の第五句集は「雲の唄」と名付けたほどである。 花水木あたりに窓を構へたし 平9 好きなことしてゐる窓の花みづき 平10 私の好きな時間のひと齣です。 |