「好きな時間」 赤尾恵以 - 2005年5月のエッセイ万緑の奥へ奥へと迷ふ蝶 恵以 万緑の中をそぞろ歩きする時が大好きである。先づ身体によい「緑」の空気を吸う。そして入り口も出口も分からなくなった位歩いた頃が心理的にも僅かな屈折がある。迷ってしまったかなという少々の不安感もあるが迷ったことも又よいと思う。勿論あたりは鎮まっており、時には鳥の囀りも遠くに聞いたり羽ばたきが起こるのも変化があって楽しい。世の雑事から抜け出て来たひとときである。 私は阪神間に生まれ、神戸にずっと住んでいるから、生まれながらにして六甲山の万緑を背に、眼前はちぬの海が拡がり、最も温暖地帯で風光明媚の中にいる。だから周りのものが順調に育ち、挫折感の少ない土地柄なのである。たまに台風が上陸して来ても作物に損傷を受けることもなく、それが当たり前と思って育った。だが俳句を作るようになって、自然はそう簡単に育つものでないと身にしみて実感。例えば雪が降れば美しいとしか感じなかった生活に、地方では豪雪のため、生まれた時から生死の危険を感じている人びとを知り、恥ずかしく思った事もある。 つまり俳句を作っているうちに全国の句も鑑賞して、それぞれの地方性を感じる。特に気象については日本程繊細な所はなく、春夏秋冬のけじめのはっきりしていることが幸せなのだと私流に感じた。 その中の万緑という時期も移り変わって行くのを充分会得して、ひとときを大切にしている。寒さ、暑さに耐えることもなく、身体が自然なのがよい。秋はもの思う秋とか本を読む灯火を親しむ季節でもあるが、何もかも忘れて身体を委ねられるのは万緑の頃である。 万緑の中や吾子の歯生えそむる 中村草田男 万緑は満目の草木の緑が眼に沁みるばかりである。王安石の「万緑叢中紅一点」の詩句から、中村草田男によって採られ、彼の一句で季語として一般化された。何もかもみどりと言うことで奥へ奥へと歩き続ける。その真ん中に入り込むと人間は点のような存在となり、くよくよしても始まらない。その森林のみどりの間から吹く微風を感じると、つくづく生きていると言う独りの時間を楽しむのである。 万緑の変わりし色や返り船 恵以 万緑を背に号令の笛鳴らす 恵以 出口なきことを楽しみ青しぐれ 恵以 |