2005年11月のエッセイ「根来寺について」 樟 豊私はここ和歌山県岩出町に住んで、十年ぐらいになります。この程友達に勧められて根来寺のご開帳を拝観に行きました。十月の始めから十一月の六日までのようです。皆様には誠に残念で申し訳ありませんが、今までにご開帳は全然無かったし、今後の予定も「ありません」と秘仏にお仕えする若いお坊さんが冷たく一言申されました。私が文化財教室で以前に学んだことも含めて、以下少し述べます。 岩出町で唯一誇れるものと言えばこのお寺ですが、普段は桜の頃が名所とされています。根来寺が観光の寺として有名なのは、桜の名所、と言うだけでなく、根来僧兵が豊臣秀吉の大軍と戦って敗れ秀吉に焼き討ちにあった後、徳川時代にぼつぼつ紀州徳川家によって再興された。という歴史が行き渡っており、まあそんなところでしょう。ところで今回ご開帳になった本尊カクバンさん正確には非常に難しい漢字なので容易にパソコンにも出てこず応用漢字はありませんので、この土地で愛用されているとおりカクバンさんで書かせて頂きます。今回始めてその秘仏を拝ませて頂き、その若々しさに驚きました。イケメンの学僧と言うところです。鎮座在すところは光明殿という此の寺の本殿で、その一番奥に帳で半分隠されていて、前庭に降る秋の日射しの照り返しと遠い祭壇のろうそく一本の明かりしか有りませんが。徳川時代に本殿の再建と共に出来上がった御像と思われます。 本殿に拝観に向かう途中の廊下にカクバンさんのお言葉が毛筆で認められていました。「大日如来とは弘法大師空海そのひとなのである」という究極の一言です。私は宗派が違いますがこの御言葉を拝見して思わずうーんと捻りました。これこそ真言密教の大変な秘密で、ソレを全く隠す事なく提示してあります。密教と言えば金剛界、胎蔵界曼茶羅という難しい仏教学にすぐ行き着いて曼茶羅絵を拝むだけですけれど。 そのカクバンさんが、この一言で高野山を追われた訳ではないでしょうけれど、鳥羽上皇を始めこの土地の大荘屋達の援護の下根来寺を創建し、わずか三年で亡くなります。享年四十九才です。 その後を引き継いだ貫首がなかなかのやり手で、忽ちのうちに僧坊寺院二千九百とも言われる一大教団を作り、高野山と対抗する僧兵を育てるのです。 その後秀吉軍団が浄土真宗宗徒の反逆と雑賀衆との戦いに根来僧兵が加わります。戦いに敗れた根来僧兵達は自分たちの手で寺々に火を放ったと言います。重要文化財となる教本始め宝物類はすべて自分たち僧兵の手によって焼き尽くされたのです。 稲干され根来街道すぐに尽く 豊 以上 (本文及び俳句の表現で、ふりがな表示が括弧書きになっているのは、インターネット・システムの制約のためです。ご了解ください・・・事務局) |