関西現代俳句協会

2007年 1月のエッセイ

「希望が丘」

         宇多喜代子 

 合併によって、奇妙な新地名がつぎつぎ生まれている。二つ三つの村や町を集めて新らしくできた町に新しい名をつける。アレって誰がつけるのか。山を拓いて住宅にしたところが「何々が丘」になるのと同じく、一つとしていいなぁと思うものがない。たとえぱ、緑が丘という町名が全国にいくつあるものか。私の住んでいる池田市にもあれば、隣接する豊中、伊丹、川西にもある。

 かつて地名は、その土地の来歴を語る大きな情報であった。たとえばある新市に、クズレダニと呼ばれて敬還されていたところがあった。崩れ谷の漢字を当てるのだと思う。

 この旧名を耳で聞いたとき、雨で幾度か崩れたことのある谷なのだと思った。誰だってそう思うだろう。誰もがそう思い、家を建てるときに気をつけようと思うだろう。

 ここに開発業者が入り、木を伐り、谷を埋め、みる間に立派な宅地に変貌させた。素敵なニュータウンだという。ところが、ここが売り出されるときについた名が希望が丘。ウワァと思った。

 岩手県の北上市の俳人小原山籟さんと初めて会ったとき、「私の住んでおりますところは山口と申します。その名の通り、山の入り口でして、田がありません」と言われた。その時、同行の従弟に当たる方は、「私のところもムラサキと言いまして、村の端の方で、やはり田が少ないところです」と言われた。こちらは村崎と書くのだろう。

 山籟さんの.曾祖父という方が江戸末期の百姓一揆のからかさ文書.に名を連ねた科で投獄され、ご一新で放免されたという身の上の方で、九死に一生の強運で牢から出たのちに一揆の記録を克明に残しておられた。その苦難の記録を拝見しているあいだ、私の頭の隅から「山口」「村崎」という地名が消えなかったのである。

 かりにここの地名が希望が丘と変わっていたら、山籟さんの曾祖父さんの苦労もじっくりとは伝わらなかったであろう。

 私の住んでいる池田の由来は「水たまる池田の郷」であるらしい。池田に残る呉羽、綾羽という地名も、古代に呉の国から渡来した織工・呉はとりが綾を持参した古事に因んだ名。

 美しい国とは、緑したたる山河の育んだ言霊の幸ふ国であるはずなのに、日本全国キボウガオカになっては、あまりにも貧しい。

 今年もまた、いくつかの合併した新市の名に巡り合うことになるのだろうが、どうぞ、ウワッと思わせないでほしい。

以上


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