2007年 6月のエッセイ 句集「交響」 赤尾恵以著 紹介志村 宣子 「渦」主宰、赤尾恵以先生が七十七歳の記念に第五句集「交響」を角川書店より出版された。 平成十三年から十七年までの作品三百九十句が収録されている。 「あとがき」に「句集一巻の一頁目を開くことは私にとっていよいよ舞台の幕が上ったことになる。一句ずつ読んで行くうちに、野に山に空にと情景が拡がり、眼には色彩が美しく、耳にはせせらぎや鳥のさえずりなど聞こえてくる。風の音や花の揺れる気配にはリズムがあり、俳句の持つ五、七、五のリズムの定型だけでなく、特に中七の七の働きが三、四であったり四、三を感じる。長い間音楽の仕事をして来たので、どうしても聞こうとしている。だから一句の切字により一瞬の沈黙を感じる時が一番楽しい。」とある。 「交響」の句集より 人間と芒に飽きてうずくまる 万緑に鐘鳴り誰の為でもなく 白粥に梅干埋めていくさなし 黒き傘干され無風のひろしま忌 次の一句を私なりに鑑賞させていただく。 「交響楽雛に聴かせし誕生日」 雛人形が箱から出される時、薄紙に透く口紅が艶やかで、薄紙を外すと黒髪が黒々と現れ、くらくらと眩暈を起こして居る様で切ない。主宰は子供時代「着飾ってお雛様の様に家にいれば良い」と箱入り娘として御両親に滋しまれお育ちに成られたのでしょう。 音楽家であられた主宰が兜子先生亡き後、「渦」を継承された御苦労は交響曲の様にドラマチックだったと想われる。これを神の啓示として受け取られ「音楽に絵画を感じ俳句に音楽を感じた」と述べられている。 主宰は御誕生日に雛人形を飾った部屋でベートーベンの「田園」やチャイコフスキーの「悲愴」の様な交響曲を心静かに御聴きになり我が人生に悔いなしと神に感謝された。 話しは変わるが、昔から不思議だったのは雛人形を遅くまで飾れば婚期を逃がすと言い伝えられ早々仕舞われることだ。 「古来、中国では、三月三日巳の日に水辺に出て祓いを行う風習があり、そのさい川原で飲食をし、文人は詩を作り楽しんだ。日本にこの風習が桓武天皇の頃入り人形(ひとがた)で体を撫でて此れを川原に運び、祓いの式の後川に流した。 後に祓いの感覚が緩んだ結果、玩具として飾られる様になった。」(百科事典) 次第に雛人形が精巧に造られ、衣装も豪華になり捨てられなくなり、古意が薄れて行ったらしい。雛を飾る事は祓いの行事の名残で、川に流す代わりに、直ちに納戸や蔵の様な暗い場所に仕舞われたのだろう。主催も雛祭りの後、直ちにお仕舞になられたことでしょう。 「交響」は一句一句読み応えのある句集で是非 皆様にもお読み頂きたい。 以上 |