2007年 9月のエッセイ 塚原 哲
近畿の梅雨明けが報じられた日の夕方、早くも蝉が鳴いた。例年にくらべて庭には蝉の穴も多く、蝉の殼も幹や葉にいくつも残っていたので、思わず「初蝉か!」とつぶやいたものの、「チチッ」という短い声だったので、ひぐらしだったか、油蝉だったか、はっきりしない。ひぐらしは本来秋の季語になっている蝉なので、〈初蝉〉とは言い難いが、七月になって初めて聞いた声だった。 翌朝から、熊蝉が東側の森から一斉に鳴き始めた。太陽はすでに中空から強く照りつける七時頃に、仕事場にしているマンションにバスで出掛けるが、囃し立てるようなその声をくぐり抜けて、バス停までの日向の坂道を急ぐ。冷房の効いたバスに乗り込んでも、薬師寺を過ぎる頃まで蝉声は、乗降がある度に開く出入口から車中に飛び込んでくる。近鉄奈良駅から市内循環バスに乗換えるが、縁の濃く深い奈良公園には人影もなく、鹿も木蔭に屯しているだけだが、激しい蝉声は相変わらずで、奈良教育大学から西へ曲がると、民家や古い店の通りとなり、街路樹もなく、ようやく遠くから聞こえてくる落ち着いた快い蝉声となり、マンション前のバス停に着く。 八月に入ってからの猛暑に、熊蝉の鳴き声は昼前までつづく。ギリシアのアナクレーオンの蝉の詩〈真昼が、真昼そのものが歌っている!〉のように、声を限りに鳴いている。 八月と言えば原爆が投下され、つづいて終戦となった月である。その日、少年だった僕は、呉市の自宅で耳の奥を鋭く剌す異常な音と光に、耳を押さえて家の表へ飛び出した。西北の空には竜巻のような太く伸びてゆく白い煙柱と、上部は傘を聞いた茸のような形が広がり、さらに大きく天へ伸びて行くのが目に映った。翌日には新型爆弾、と新聞が報じた。終戦の日は、校庭に全校生徒が集まって、天皇のラジオ放送を聞いた。両日とも激しい蝉の鳴き声に囲まれていた。そんな日を熱い想いで甦らせながら、今年の八月も半ばが過て行き、夕方に早くも法師蝉の声を聞いた。 梶井基次郎の「城のある町にて」には、つくつく法師の鳴き声を 次々と止まるひまなしにつくつく法師が鳴いた。 『文法の語尾変化をやっているようだな』ふとそんな に思ってみて、聞いていると不思議に興が乗って来た。 『チュクチュクチュク』と始めて『オーシ、チュクチュク』を 繰り返す。そのうちにそれが『チュクチュクオーシ』に なったり『オーシチュクチュク』にもどったり して、しまいに『スットコチーヨ』『スットコチーヨ』 になって、『ジー』と鳴き止んでしまう。(略) と、実にこまやかに記述している。 暦の上では立秋が過ぎた。猛暑はまだまだ続きそうだが、夕方の蝉には一日の終わりの安らぎのようなものを感じる年齢となった。蝉の句といえば、 欲情やとぎれとぎれに春の蝉 桂 信子 遮断機の前で握られ鳴く蝉よ 秋元不死男 蝉の語尾書留の印探しをり 石川 桂郎 などが、すぐ口に出て来て、そんな句を作りたいと思ったものだ。一句目の喘ぐような声、二句目の遮断機の警鐘音のような蝉の悲鳴音、三句目からはつくつく法師の声が聞こえてくる。しかし、僕はここ何年も毎年蝉の句は、一句か二句位しか作れない。しかも大抵は、夕蝉ばかりで、 老人のいて鳴き止まず法師蝉 塚原 哲 は、句帳に走り書きされた一昨日の句である。 以上 (本文中の「蝉」の表記については筆者より康熙字典体の 子 以上 |