関西現代俳句協会

2008年 6月のエッセイ

「奈良 春の一日 」

柏原 才子

 現代俳句奈良吟行会の当日は全国的な快晴で、降りたった奈良は「あをによし寧楽の京師は咲く花の薫ふがごとく・・・」の通りの世界を広げて迎えてくれた。一花だに散らぬ桜は息づく様に枝を広げ人々の魂を揺さぶる。

 誘はれて参加した吟行ではあるが、この古都は京都と違ってどこかしっとりとした佇まいをみせて広がる街である。何度か来ている地ではあるが、お上りさんよろしく観光客の群れにまぎれ込み、興福寺や五重塔を仰ぎ澄まず濁らずの猿沢池のびっしりと甲羅干しをしている亀をみながら俳人の鳴かす亀はどれだろうか、間違っても派手な外来種でないことだけは確かだなどと他愛もない事を言いながら池を一周してみる。寄って来る鹿の荒い毛並を撫でながら餌をやり、遠い眼をしたまま人を避けている孕鹿を気遣ったりと、観光は歳を忘れさせてくれる。

 そぞろ歩きの時間はすぐに経ち、定刻二時豊田会長の挨拶で句会は始まる。各結社での吟行はどこでも実施されてをりそれには慣れている筈だがやはりこの様な大きな吟行会となると独特な高揚感があり雰囲気が違う。

 選者の先生方それぞれの厳しい選句が次々と発表され、それらの佳句の着眼点、表現方法、季語の斡旋等々をさすがにと諾い感嘆しつつ披講を拝聴して句会は進行する。その中に思いも掛けず我が名があり、名前を呼ばれた時喜びよりも戸惑いの方が先に来て、ガタガタと椅子を鳴らして無様に立ち上がったのを憶えている。

   「まほろばの逸史に亀の鳴くことよ」

 どこを掘っても遺跡旧跡につき当たってしまう古代史の真っ只中の「奈良」とという地に佇ったとき、その膨大な時間の経緯を思い、その中に埋もれていったであろう数多の人々の生き様や、勝者の側のみで語り継がれて来た歴史の中に隠されてしまったままの史実や伝説、それらは怒涛のように流れる“時代”に組み込まれそしていつか歴史の大きなうねりの中にその気配すら忘れ去られてしまっているものがあるのではないか、そういう思いがあって五七五になった一句である。

季語の“亀鳴く”では一句に具体性が無いかと懸念もしたがそれで良かったのだと今は思っている。

 思う様にはいかない俳句ではあるが、捨てもせずしがみついている俳句でもある。

 貴重な勉強をさせて戴いたこの吟行大会をお世話下さった皆様方や選者の先生方に感謝しながらまだ日の高い大路を奈良駅までゆっくりと辿り心良い疲れの奈良の一日を終えた。

以上

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