関西現代俳句協会

2009年 3月のエッセイ

「俳句への視点」

鈴鹿 仁

最初俳句を作ると言う切っ掛けは、思わぬ所にあるものです。 私ごとですが、私には二つの切っ掛けがあったと思う。

 一つには父(野風呂)が俳人であったこと。そして兄(海道)が父を引継いで俳人にな ったこと。所謂俳系の中で、自然と自分の身体の中に俳句と言うものが育っていったのかも知れない。
 もう一つは、サラリーマン時代京都から大阪へ毎日電車で通勤していた頃、ある日人身事故に遭い、電車が茨木あたりで、しばらく停車しておりました。その時ふと窓から外を 見ていますと、農家の人が盛んに田を耕しておりました。あれは季語として存在しているのか。早速歳時記を調べました。「有りました」「有りました」。春の季語で「耕し」として りっぱに存在しています。
 その時から電車でそこを通過する時はいつも農事を観察しようと思った。
 俳句と農事・農事と俳句。密接な関係があることは勿論のことで、俳句のおもしろさが、その辺りから芽生えて来たのかも知れない。お蔭で一年中電車の中から農事を見ることに よって多くの季語を発見することが出来た様に思う。
 それと同時に日本ほど四季の季節感に恵まれた国はなく、春夏秋冬を直接肌で感じるこ とが出来るし季節への愛着心が更に強くなったと感じる。
 俳句はおもしろいですね。たのしいですね。「カッパえびせん」のようですね。
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 春ごころ風にもありし農仕度     仁
 大根干す満目の村白くする      〃
 うつうつと鷺立つ刈田風の中     〃

俳誌「京鹿子」より