関西現代俳句協会

2011年8月のエッセイ

  綿虫

柏原 才子

 「すべての言葉は枯れ葉一枚の意味も持たない」 アウシュビッツを訪れたある作家の言葉である。それが今、日本に「東日本大震災」となって起きた。

 活断層の上に乗っかった日本列島は吊橋の上にある様なもの、どの綱が切れても日常が日常でなくなる。未曾有の大震災は一瞬にして日本の足もとを崩し去った。 ― はかどらない瓦礫の山、見つからない不明者、収束出来ぬ放射能と原子炉の処置、物質文明と云われ消費文化と囃された欲望の果てのむごさ、むなしさ。

 いま俳句も短歌もその悲惨さを詠んだものであふれています。あまりにも大きな被害と悲惨な現実に言葉が追いついていかないもどかしさがありますが、これを語り継ぎ詠み継ぐことは文芸者の責務であるのかも知れません。人々が元の生活を取り戻すのは何年先になるか分かりませんが、被災者の方々の身辺や周囲の状況が少しずつ落ち着き、前向きの意志が見受けられるのは心強いし嬉しい。一日も早い復興を念じると共に人々の底力と団結力がそれを可能にすることを信じています。そして取り戻した美しい故郷で皆が平和に暮せる日の来るのを信じています。世界中のどの国よりも日本は礼儀正しい美しい国ですから。

 そんな美しい国日本の四季の諸々を美しい日本語で十七文字に掬い上げるのが俳句です。と云えば簡単ですが、これが又難しい。年々老化する詩脳をつぎはぎし、振り洗いしながら俳句という巨大な文芸に取り付いて呻吟している昨今の私ですから。

  綿虫の漂ふと云ふ力かな  才子

 綿虫は雪蛍とも云われて何となくロマンチックで魅力的な語感を伴なった季語です。いつか詠みたいと思っていた季語でした。

 ある時の旅行で思い掛けなく綿虫に出合いました。杉の美林を背景にゆらりゆらりと飛んでいました。飛ぶと云うより力を抜いて空気の流れのままに漂うという感じでした。しばらくそれを見ていてふと思ったのは、生きとし生けるものが自然界で力を抜いての生き様は絶対に無いと。こちら側からは漂うと見えても綿虫にとっては、それは力なんだと。漂うと云う力なんだと。そう気付いた時のそのままつぶやく様に出た言葉です。

 山に囲まれた中仙道の宿場町は暮れるのが早い。山の端に残る夕日を受けて濡れているような綿虫の群れにしばらく我を忘れた事でした。

  綿虫や灯を早々と宿場町  才子

 俳句は思い掛けない出合いや発見があるから面白い。だから続けているのかも知れません。そして続けていかれるのかも知れません。

(以上)

◆「綿虫」(わたむし):柏原 才子(かしはら さいこ)◆