関西現代俳句協会

2011年11月のエッセイ

わがパワースポット・・

堀本 吟

 ☆ 犀川は・・

 旅行は好きである。しかし、そうたびたび行くこともできぬから、なにがしかの忘れがたい印象を持った土地のことをいつまでも反芻している。実際訪れた場合のみではなく、震災や津波の土地についても写真やテレビで見て、あたかも自らそこに立っている気にもなる。

 少々観光気分であっても最近ではたとえば金沢は良かった。金沢の室生犀星記念館や中原中也ゆかりの場所、犀星記念館には、句集その他の資料はかなりそろっていた。石川県立図書館では、沢木欣一が昭和二十一年に創刊した「風」バックナンバーを閲覧した。かなり傷んでいるが全巻そろっている。ここには、金子兜太、安東次男、永田耕衣、右城暮石、古屋ひでを、のちに鈴木六林男、等々そうそうたる作家達の名が並ぶ。「風」は戦後俳句のパワースポットのひとつである。しかし、橋關ホの生地であるのに金沢にはその資料があまりというかほとんどそろっていない。それが不満ではあった。

   犀川はどくだみ白き異土ならん     堀本 吟

 以下の句はその場所と地名の喚起するところをみごと受け入れて広い世界を生じている。

   松山や秋より高き天守閣        正岡子規

   紫陽花に秋冷いたる信濃かな      杉田久女

   広島や卵食ふ時口ひらく        西東三鬼

   栃木にいろいろ雨のたましいもいたり  阿部完市

 ☆ 松山や・・

 軽快でファンタジックな「栃木」の句をのぞけば、いずれもありふれた景観や人間の行動なのだが、この地名がじつに適切。私は、久女の句に魅せられて、ところは吉野山あたりであったのに、斜面の翳りの中に立ち枯れのまだ青色をのこしている紫陽花を探し回り、見出したときに「ああこれが信濃だ」と思ったことがあった。

 また、少女期に松山城の白い天守閣を見上げて育った私なれば、中村草田男の『長子』(昭和11年)の集中《帰郷二十八句》に先立つこの明治二十四年作の子規の句は特別に好きだ。一歩その地に降り立って城山を見たとき、全身が痺れるように「ああ松山だ」と思う。風景との一体感をこの句は真っ直ぐにつかみとっている。真っ青な空に映える天守閣のたたずまいを「秋より高き」と言い止め、わが故郷の感情の定型にまで持ち込んだ子規のこの感受性はナチュラルにして巧緻。五七五に取り込まれたその「松山」には、いまや諸氏もご存じのように一種の言葉のパワーが宿っているような。

 ☆ 広島や・・

 「広島」はもちろん原爆に関わる話題を呼び起こすパワースポットであるが、しかし、それ以外のモチーフでの「広島」が詠みにくい、とあるとき若い世代の誰かが呟いた。たいへん至当な問題意識である。こういう特殊化と普遍化の葛藤の問題はつねに生じる。

 ただし、西東三鬼のこの句はいまもって問題作である。

 これは、最初の形は「広島や物を食ふ時口開く」で連作《有名なる街》八句のうちにあり、のち改作されて『三鬼百句』(昭和23年9月)に収録されている。が、殆ど同時に出された代表句集『夜の桃』(昭和23年9月)からは外されている。この句を巡る高屋窓秋の感想文がGHQの検閲に触れた、という逸話を、かつて私は聞いたことがある。詳細はまだ公的には解らないのだが、あるいはそう言う雰囲気に対する配慮もあったのだろうか?そのこともいずれ戦後俳句史上の論点として明らかになるのであろうが、この句については、川名大『現代俳句・上』(ちくま学芸文庫)の解説観賞が説得力あるものだ。

 ともかくそういう歴史の翳りがかぶさっていて、俳句の中ではこの句の「広島」は負のパワースポットである。だが、負といっても、生と死の真実の姿を直視した者の仮借ない視線が感じ取られるものだ。『三鬼百句』の、この句の自註には 

 「未だに嗚咽する夜の街。旅人の口は固く結ばれてゐた。うでてつるつるした卵を食ふ時だけ、その大きさだけの口を開けた。」とある。 

 この「卵」を食べる日常の動作、生きている人間の食のいとなみが大勢の非業の死と重なってくる。なまなましい身体感覚の提示はさすが三鬼と言わざるを得ないのだが、この地上的な即物的な重みは、そのリアリティは、むしろ異様な反現実的なパワーを発揮している。卵の大きさだけ開いた口は「宿命」の洞、ぶきみな暗喩だ。 

 ☆ 震災地はパワースポットか 

 災害に関わる想像力はたぶん複雑な回路と長い時間を経て実を結ぶ。災害の地を想像力のパワースポットというのも少しヘンなのだが、実景と虚景の境界を決めがたいという迷いの感覚が何度もわき上がって、虚実いれかわる。このねじれた感覚にねざすのが私の被災地への向き合い方である 

 いま発言され始めている福島や、宮澤賢治や佐藤鬼房の土地の震災句、それこそ「いろいろ雨のたましい」、そのひとつぶひとつぶの言葉と感情に固有の存在理由がある。土地の鳴動も放射能もともに、その土地=地名へ流れ込んで行く。悲惨もひとつのパワースポットとなり、人智を明晰にしてくれるはずだ、とその考えをいまも私は捨てられない。 

(以上)

◆「わがパワースポット・・」(わがぱわーすぽっと・・):
                     堀本 吟(ほりもと ぎん)◆