関西現代俳句協会

2013年8月のエッセイ

糸偏の街

仲田 陽子

 京都の伝統産業の帯生産地である西陣は町家と呼ばれる家が軒を連ねています。子供の頃ほんの三、四十年前までは多くの町家の奥から機の音が漏れ聞こえていました。

 同級生の友達は糸屋、綜絖屋、紋屋、整経屋、西陣織の分業の中のなんらかの形で携わる職種の家の子供がほとんど。我が家は織屋を生業としていたため家の中は糸を繰る音、手機を織る音、力織機の機械音、とにかく街全体が音という活気に溢れていました。

 西陣の織物に関わる人々は西陣のことを糸偏の街と呼んできました。しかし、近頃では織屋があった土地の跡地にマンションや小さな家が数件建ち、町屋の景観は少しずつ壊れ、糸偏の街など呼ばれていたことすら知らない人たちが多く移り住んできています。

 景気の悪化から衰退の一途をたどりつつある西陣の織物業を廃業する会社は後をたちません。職人の高齢化と後継者不足も手伝い、機織る音がこの街から消えてなくなろうとしているのが現状なのです。

 十年ほど前のある日、会社勤めを辞めた私は「自分の帯でも織ってみようかな」と安易な軽い気持ちで、すくい織りの職人である伯父に教えを乞いに行きました。

 すくい織りを少し説明させていただくと、経糸を掬うというのが語源らしく、柄を織り出す絵緯糸を杼と呼ばれる機道具に通して、織下絵の模様に従って必要な縦糸の間にだけ絵緯糸を通してゆき、図柄を織り出していく技法のものです。

 どれくらいの期間で織り上がるのですか?という質問をよく訊ねられます。手織りのすくい帯は絵画を思わせる作品が多く、一日数センチしか織り進まないこともあり、日数は図柄の複雑さによりまちまちですが、帯を一本織り上げるのに約一ヶ月かかるなんてことも多々ありますから、機織り職人はとても根気のいる仕事なのです。

 そんな伝統工芸の奥の深さに引き込まれてみれば、職人の生活の中にも季節の移り変わりの発見があり、季語も意外と多いことに気付かされます。思いつく季語をならべてみます。

【織初・機始・初機】
 昔は農家の女性の冬の仕事であった機織りも、実感をもってこの季語を使える人はとても少なくなったのではないのでしょうか。

【糸引・新糸・新真綿】
 繊維業界にいなければなかなか馴染みのない季語だと思います。残念ながら糸取の経験はありませんが、新真綿で織るとやはり糸艶が違うように思います。

【織女・願ひの糸】
 織り技術上達を願って願いの糸を吊るしている人はもはや絶滅寸前ではないでしょうか。

 着物を着る文化も廃れつつありますから、夏の【単衣・羅・縮・上布】なんて季語も徐々に使われなくなって、宇多喜代子の著書『古季語と遊ぶ』の中に書かれている【セル】のようにいつか古季語の部類に入ってしまうかもしれません。

 西陣に小さな工房を構え、私の響かせている機音を昔からこの街に住む方々は古き良き時代を懐かしんで喜んで下さっているけれど、いずれ西陣から機音の聞こえなくなる日も遠くはないのかもしれないなと思う今日この頃です。

     一筋は願ひの糸となりにけり   陽子

(以上)

◆「糸偏の街」(いとへんのまち):仲田 陽子(なかた ようこ)◆

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