関西現代俳句協会

2014年7月のエッセイ

スマホ時代に思う

的場秀恭

 近ごろスマホ(携帯電話も含めて)の普及は物凄い。恐ろしいといっても過言ではない。それは十年余り前には想像も出来なかったことである。

 電車に乗っていると、1つのシートに5人が腰かけていたら、その内4人程がスマホに熱中している。まるで何かに取り付かれたように。

 先日も若い母親が3歳くらいの女の子を連れて電車に乗って来た。2人が座席に腰をかけたまではいいのだが、母親は坐るや否やスマホをやり始めた。或いは乗る前からの続きかも知れない。幼児は頻りに母親に話しかけようとするのだが見向きもしない。というより構っている暇がない風である。退屈で仕方のない女の子は足をぶらぶらさせていたが、段々と辛抱が出来なくなって来たのであろう。電車の中をよたよた歩きだした。電車が揺れるので時々両手を床につけたり尻餅をついたりで見ていてもはらはらする。母親は時々「うろうろしたら駄目よ」と声を掛けるが、子供の方へは目も向けず一心不乱にスマホに立ち向かっている。

 見兼ねた傍らの老婦人はその子を抱き上げて母親のところへ連れて行く始末である。一体どんな大切な用件なんであろうか。

 確かにスマホには多くの機能があって非常に便利である。電話も出来るしメールも出来る。地図もあればニュースも見られる。更にあれこれ沢山のゲーム機能があって本当に立派なものである。

 そういえば喫茶店等でよく見かける光景に、若い男女、見るからに恋人同士のデートと思われるような2人がジュースか何か飲み物を前にして、さして会話もせず、お互いがそれぞれのスマホに熱中しているのを見掛ける。

 何が面白いのか、よほど話すこともないのであろうか。それなら初めからデートなんてしなくてもいいのに・・・。こんなことを考えるのはまさに年寄の冷水というものであろう。

 私事で恐縮だが、先日友人と待ち合わせの為に天王寺駅のコンコースの柱の側に立っていると、1人の若い女性が私の方へ近づいて来る。気にも止めないで友人を探していると、その女性は“どん”と私にぶつかって来た。「危ないっ」と叫んだのは私である。更に驚いたことは、彼女は別に詫び入る様子もなく、私の方をちらっと見ただけで、スマホの画面に向かったまま同じ速度で通り過ぎて行った。もしも私が気の荒い男だったら彼女はどうする気なんであろう。

 その後すぐに友人が来たので今の話をすると「近頃そんな連中が多いから、こちらが気を付けて退かなければいけないんだよ」と当然の如く教えてくれた。

 二宮金次郎の時代ではないのだ。本を読みながら、否スマホをしながら歩くなんて。大勢の人混みを歩く時にはもう少し周りに気を配って欲しい。

 老人の愚痴はほどほどにするとして、テレビや新聞でも時々話題にしているのが、近頃の若者、延いては年配層にまでスマホ症候群とも言える現象が蔓延しているようである。スマホがないと夜も日も明けないという状態はなんとかせねばならない社会問題になって来ているようである。

(以上)

◆「スマホ時代に思う」:的場秀恭(まとば・ひでやす)◆

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