2015年9月のエッセイ
神戸北野坂界隈とジャズ
西川 吉弘
神戸三宮の北側、異人館に続く坂道に「北野坂」がある。
以前、三宮近辺に勤務していたこともあり、これまでに何度も訪れている。
かなりの急坂であるが、それほど疲れを感じないのは道幅が広いためかも知れない。この坂道では毎年5月のゴールデンウイークに、チューリップの花弁を道一杯に敷き詰めて「花絵」を描く。元々はイタリアの寺院で行なわれていた「インフィオラータ(意味は花を敷き詰める)」で、その後、世界に広まったとのこと。
神戸では阪神大震災をきっかけに始まった。神戸ルミナリエとその趣旨は同じである。富山県砺波市や新潟県新潟市から、毎年大量のチューリップの花弁が贈られてくると聞く。
チューリップ地震の神戸の二十年 吉弘
北野坂の先は急に狭い道になり異人館街に続く。うろこの家、風見鶏の館など、よく知られた異人館が多数立ち並んで、どこまで行っても道幅は狭い。
風見鶏の館を更に西へ細い道を歩くと、小さな土産物屋がある。店主とのつかず離れずの神戸弁での会話も楽しい。帰りは下り坂で歩くのは楽である。
北野坂の周りには女性が喜びそうな雑貨の店がたくさん並んでいる。
価格も様々で、リーズナブルな店も多い。手作りの商品が多いためか、個性豊かで私などが見ても充分楽しめる。
北野坂の南端に「SONE」と言うジャズクラブがある。1969年に開店以来の老舗である。店内はそれほど広くなく、ステージと客席はつながっている。
私の知るジャズメンとしてはアルトサックスの古谷充が今も出演している。
食事もとれて客席は交代制ではないので、ゆっくり楽しめるのもいい。
客層としてはやや中高年の方が多いが、本当にジャズの好きな人が集まっており、静かに楽しんでいる雰囲気もいい。
毎年5月には神戸市内のジャズクラブで「ジャズウオーク」が開かれ、10月には北野坂近辺に世界のジャズプレイヤーが集まり「ジャズストリート」が、やはり毎年開かれている。
斑猫やジャズの音坂を駆け登る 吉弘
私の趣味のひとつに「オーディオ」がある。中学生の頃からオーディオアンプの製作に凝っていた。大阪日本橋の電気街で部品を買い集めたのも楽しい思い出である。
近所の人などに頼まれて、その当時、数十台のアンプを組み立てた。
部品代だけいただいて、当時としては製品を購入するよりはるかに安価で、いい音がすると好評だった。
スピーカーボックスも木工職人だった父に助けてもらって、吸音材も入れて自作した。
当時はモダンジャズの全盛期で、私は特にピアノが好きで、中学生の頃は最初の一節を聞いて数人のジャズピアニストを聞き分けることができた。
最近はダイアナ・クラールと言うカナダの女性歌手に嵌っている。
元々はジャズピアニストであり、その後ボーカルを兼ねている。
聞き手に媚びない、突き放したような歌い方が好きだ。
ピアノもエネルギッシュで、音だけ聞いているととても女性ピアニストとは思えない。
ユーチューブを録画してアイパッドで、通勤途上の電車の中で視聴している。音質はそれほど良くないが、動画を同時に見ているので臨場感はたっぷりある。
現在も仕事として就職相談に従事している。定年退職後、偶然ハローワークに勤務し、そこでキヤリア・コンサルタント講座を受講して、以後、職業訓練校の就職相談の仕事につながっている。現在10年を経過したが、途中リーマン・ショックの就職氷河期を体験し、現状経済は上向きと言われるが、それは学卒者や震災復興関連等一部の現象で、中途退職者には厳しい状態が今も続いている。
苦労してやっと就職できたと喜んだら、ブラック企業だったというのも少なくない。
その方々のために、退職相談にも乗っている。
求職者と共に苦しみ、共に喜び合える仕事で、この十年、大変やり甲斐を感じている。
出来ればあと数年は続けたいと思っている。
夏の闇少しの嘘は常備薬 吉弘
この句は、様々な不採用要因を抱えて苦しむ求職者への、私からのアドバイスである。
俳句は数年前に小泉八重子主宰からいただいた「詩魂を弛みなく練磨せよ」のお言葉を、 胸に刻んでこれからも永く続けていきたい。
(以上)
◆「神戸北野坂界隈とジャズ」:西川吉弘(にしかわ・よしひろ)◆