2019年5月のエッセイ俳句に気を許す塩見恵介現在、将棋には藤井聡太、俳句には夏井いつきという、スターが現れている。昨秋、結社のフォーラムを担当し「将棋と俳句」という破天荒な企画を行ったところ、神戸新聞が面白がってくれ、将棋の内藤国雄九段と俳人の坪内稔典氏の新春対談に発展した。将棋と俳句の二刀流?の私も進行役を仰せ付けられ、余徳に預かった。お二人の間で夢のような楽しい対談と酒宴。気付けば、二次会、深夜の神戸。現役時代から酒豪の名を恣にしてきた内藤九段とスナックの止まり木にいた。内藤九段は「おゆき」を歌って下さる。私はお返しに九段がファンだという三橋美智也の「名月赤城山」を歌う。すると「古城」が返される、というエンドレスなカラオケ合戦。ほどよい酩酊の中、内藤九段がつぶやく。「塩見さん、男同士で楽しい酒を一緒に飲めるのは、二種類しかないやろ?よっぽど自分に気を遣ってくれるか、よっぽど気を許してくれるか、どちらかやナァ」と。さて、僕はどっちかになれていたのだろうか。 これは文芸にもあてはまる。昨年暮れに行われた「第15回鬼貫青春俳句大賞公開選考会」、私も審査員の一人として参加した。公開選考がスムーズに終わり、余った時間は応募者と審査員のフリートークとなった。席上、今回は惜しくも落選した若者から 「型が守られているがために目新しい表現でなく、年配の俳人が書けるような題材でも、それがその青年のリアルな青春の俳句ではないでしょうか。あなたがた大人の求める青春から外れているという理由で選から漏れるのは、その人の青春の否定ではないでしょうか」と質問があった。公開選考はある意味残酷で、受賞作以外の大部分が無視されてしまう。私自身、応募した賞はことごとく落選を続けているので、この青年の質問したい気分は、心に刺さる。「俺は嫌われているから、これまでも今後も賞はもらえないけれど、君は好青年だから諦めるな」と心中、応援した。質問には稲畑廣太郞氏が「いかなる青春俳句も否定しない」と答えていた。私自身は、以下の村上春樹が1979年に「群像文学新人賞」受賞したときのコメントを思っていた。 (前略)フィツジェラルドの「他人と違う何かを語りたければ、他人と違った言葉で語れ」という文句だけが僕の頼りだったけれど、そんなことが簡単に出来るわけはない。四十歳になれば少しはましなものが書けるさ、と思い続けながら書いた。今でもそう思っている。受賞したことは非常に嬉しいけれど、形のあるものだけにこだわりたくはないし、またもうそういった歳でもないと思う。 俳句も「他人と違った言葉」を探し続けるエネルギーが大切な仕事につながると思う。賞が欲しいなら、俳壇に「よっぽど気を遣って」追随をきわめるか、俳壇に「よっぽど気を許して」独自性を発揮してふるまうか、どちらかに振り切ることだろう。俳壇はともかく、私はできれば、「俳句」に対して後者でありたいと思っている。「俳句の鬼」になるのではない。「俳句の虫」になればいいと思っている。三島由紀夫は『小説入門』でこういう。 私が作家志望の方々に実生活の方へゆく事をおすすめするのは、その両立しえないような生活を両立させようとぎりぎりの所まで努力する事が、たとえそれが敗北に終わろうとも小説家としての意志の力を鍛える上に、また芸術と生活との困難な問題をぎりぎりまで味わうために決して無駄ではないと思うからである。 俳句も文学であるなら、私は、今日も生活にもがきながら、気の置けない若者たちと俳句を楽しみ、俳句の魅力を語る著作を書きつつ、「他人と違う言葉」を探し続けて、「俳句」に「気を許す」自分として振る舞いたいと思う。 (以上) ◆「俳句に気を許す」:塩見恵介(しおみ・けいすけ)◆ |
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