関西現代俳句協会

2020年9月のエッセイ

夢ものがたり

三木星童

   

 俳句の魅力は韻律ではないかと思う。

 私の俳句は有季定型17韻、文語体表記、歴史的仮名遣であるが、韻律に重きを置いている。文語体は私にとって言葉の「ふるさと」を強く感じることと、先達の永い歴史と積み重ねてきたものに敬意を払うからである。その思いの底辺に芭蕉翁の言われた「不易流行」があり、又「温故知新」がある。

 1句の意は、その時代の現在を基に作者の心身から記すものである。1句の内容は、機会に恵まれて極めて自然に成るものもあれば、ある時は四苦八苦しても句意が定まらない時もあろう。それが生きている今の自分である。

 その時は「ままよ」と1句を成す時もある。読者の観賞や解釈に委ねることも俳句の特徴であり、作者にとっても大いに楽しみである。

 さて、私は17韻俳句の中でも、韻律のより短かく感じる方を好む傾向がある。あたかも作者の意が隠されていて、説明や叙述の匂がなく、読者に委ねられているかの1句が好みである。読者の「私」にとってより味わい深いものとなることが多い。

 先達の17韻以下の俳句、私の好きな一部を書き出してみたが、短い韻は俳句の魅力を果てしないものとしている。

 種田山頭火
  嵐の中の墓がある
  寝転ころべば露草だった
  笠の蝗の病んでゐる
  秋晴の屋根を葺く
  波の音しぐれて暗し
  枯山のけむり一すぢ
  鉄鉢の中へも霰

 尾崎放哉
  咳をしても一人
  秋山広い道に出る
  霜とけ鳥光る

 私も17韻以下の句を試作してみた。

 三木星童
  薄氷に罅社会主義 
  明解におぼろの一句
  青き踏む青き天蓋
  守宮啼く詮索せぬ怠惰
  秒速の世や走馬灯
  柿すだれ他力本願
  着膨れて波低し
  マスクのこゑウイルス

 17韻に合わせようとすると動詞・助動詞・形容詞・修飾語を使うなど韻を合わせる努力が先行したり、句意の変化が生じたりすることも想像できる。遡るが、発句の制定から充分な歴史を積み重ねてきたと思われるので、定型と独立させてみてはどうか。

 短句の特徴である、幅広く深い意と韻を活かして、「17韻」以下のより短い1句を認めて、自由闊達の将来性に期待を持ちたいと考える。新しい定型である。川柳や短歌の特徴とは違う俳句の特徴が、より明確に鮮明に生かされてゆくのではないか。

 シェイクスピアは「ウイットの魂は短いことである」という言葉を残している。

 俳句はとてつもない力、人生を変え得る魅力を持っていると思う。将来は今以上に全世界全人類が、年齢に関係なく作り記してゆく夢をみた気がする。

(以上)

◆「夢ものがたり」:三木星童(みき・せいどう)◆

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