関西現代俳句協会

2021年10月のエッセイ

澪とワタシ

とよだ澪

 澪という名前はワタシの俳号であり、付き合いだしてまだ3年程度である。ワタシはワタシであり、澪でもある。鏡をみて、「澪さん」と声掛けすると、ワタシが「何?」と答える。不思議な感覚である。しかし、投句用紙には何の抵抗もなく「とよだ澪」と書けるし、句会で互選に選んでもらった時も、最近では「澪」とすっと返事することができる。俳句の世界に足を踏み入れて、まだまだ経験の浅いワタシはずいぶん澪に助けられていると感じる。ワタシでは到底想像もつかないことを、ある時、澪はいとも簡単に思いついたりする。その時、ワタシはきっと澪の脳で考えているのだろう。

 なぜ、ワタシは俳句をやろうと思ったのか。それはワタシの中で未だに不明なままなのである。父は俳人であり、ずいぶんと長い間、俳句そのものに携わってきた人であった。俳句そのものと言ったのは、作句のみならず、俳句の伝承、広報などにも力を注いでいたからである。その父が6年前に突然、この世を去ってしまった時から、ワタシの中で俳句に対する気持ちが少しずつ変わっていったように思う。父の存命中は俳句はワタシの世界には姿を見せなかった。ワタシの中では俳句は父の世界の代物だったから。俳句が嫌いとか好きとかの問題ではなく、存在そのものが無かったのである。その俳句が、いつ、なぜ、どうして、どこから、ワタシの中に入ってきたのか。父の死後、さまざまな資料を整理していくうちに、父の俳句はもちろん、他の方の俳句もずいぶん目にするようになった。そして、その17音の文字の不思議な世界に少し足を踏み入れたくなってきたのかも知れないが、気が付けば、作っていたのである。

 最初はたった17文字しかないのに、季語も入れなくちゃならないのに、どうして、こんなに長い間、こんなにたくさんの人が作ったものが同じにならないのか不思議だった。俳句は不思議な生き物だ。ほんとに生きているかのように、その人の喜び、哀しみ、怒り、虚しさなどという気持ちを表現できるのだ。もちろん、道端のちょっとした風景、都会の雑踏などをある意味、写真や動画などより鮮明に、ダイジェストに伝えることもできるのだ。だから、一人ひとりの人間がみんな違うように、その人たちが作る俳句も違うのだ。同じ風景を見て、同じ音を聴いても、みんな捉え方が違うのだから。最近、そのことが少し理解できるようになった。理解できているのはワタシではなく、澪の脳なのかもしれないが。

 父が残してくれたのはワタシだけだったが、ワタシが澪を造り出し、その澪がワタシを助けてくれている。こんなに素敵なことはないんじゃない?澪はどんどん新しいことに挑戦してくれる、ワタシの頼もしい相棒なのである。これからもずっと一緒にいるのだから、もう少しワタシが澪に慣れないといけないかな。いや、そうではなく、ふたりは一緒であり、違うのである。それでいいのだと思っている。

 なぜ、俳句を始めようと思ったか。そして、いつの日かきっと澪が解明してくれるだろう。わかったら、ぜひワタシに教えてね。

(以上)

◆「澪とワタシ」:とよだ澪(とよだ・みお)◆

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