2022年8月のエッセイ初夏の早朝の散歩あるいは仮想空間のある風景今村タケシ私が知るのは伊丹市から池田市へ掛けての部分だけであるが、猪名川(兵庫県と大阪府の県境を流れる川)の河原には延々と幅4mほどの遊歩道が続いている。いや、遊歩道なのか、何かの作業用の道路なのかよくわからない。そこいらには大阪国際空港関連の照明施設が点々とあり、そのメンテナンス用の道路のような感じもする。緑の生い茂る河原を延々とコンクリート製の白い道が続いているのである。何かの施設や交通機関の駅につながっているわけではない。車・・・少なくとも一般車両は進入できない。ウオーキング、ランニング、サイクリングの人が時折通るだけである。 途中で忽然と点在する古びたベンチ群が現れたりするほかは、人工物は白い道路とひとつの水門くらいである。河原であるから、建物や背の高い樹木は見当たらない。空と猪名川、河原の緑、そして白い道だけの世界である。また、このあたりで箕面川が猪名川に合流している。箕面川とは、箕面の滝からの流れであるが、伊丹市に入るあたりで伏流水となり、実際に川として流れていることの方が少ない。通常は水無川で賽の河原的様相である。 5月の早朝に、この道を歩いていて奇妙な体験をした。視界には眼前の白い道が続く。普段は何とも思わないのであるが、鳥のさえずりが聞こえてきて、それが何か空間を覆うような気がした。マスクをつけて眼鏡をかけているものだから、潜水してゴーグルの中から風景を見るような錯覚がする。現実感が失せてしまう。足が地に着かない。周囲から完全に隔絶した存在としてスクリーンを眺めているようだ。あるいは、顔だけになって、白い道を追いかけて、ぐんぐん飛んでいくような錯覚がおきる。 人魂で行く気散じや夏野原 北斎 人魂になったわけではないが、自分を取り巻く世界とは異質なものになって、その世界を眺めているような気分である。さえずりのトンネルが消え、真向いから差し込む朝日の一撃をもらうまで、この感覚は続いた。私はスピリチュアル系への興味は全くなく、この経験は「不思議な感じだった」だけのことであり、おそらく脳に騙されたのであろう。 ただ、妙なことを連想した。ゴーグルから見える仮想空間である。私たちが、今見ているものが、本当のリアルなのかという疑問を抱く時代が近づいている。つまり「荘子胡蝶の夢を見る。荘子が胡蝶か、胡蝶が荘子か。」といった感じだ。世界のどこかで、知らない誰かが進めている「メタバース」。それが何なのか?わかっているわけではないが、複数の自己を同時に生きる層状の世界を想像する。その基底には、もちろん「現実」があるのだが、複数のアバター(自分の分身となるキャラクター)が活躍する別の層でも我々は生きているのである。そういった時代がそばまでやってきているように思う。 「現実」の世界は総体的にディストピアであるが、ささやかなわれわれのアバター生活・・・仮想空間には幸福を求められるという悲しい予感もする。あまりにペシミスティックな予感かもしれないが、何やら動悸が残る連想であった。 初夏の早朝の散歩は、とんでもないところまで来てしまった。 (以上) ◆「初夏の早朝の散歩あるいは仮想空間のある風景」 |
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