関西現代俳句協会

2023年10月のエッセイ

兎 ―季語の背景にあるもの

外山安龍

 今、ある人の「俳句日記」(昭和26年6月~昭和21年5月24日)の復刻版を読んでいる。作者は職業軍人(主計局)だったが、55歳で定年退職。戦争も厳しくなり姫路は軍都なので一家7人で故郷の山村に疎開。次男坊で農地や畑はなし。鳥取県の開拓団として単身、入植を決意。その頃からの1年間の日記である。

 入植前の1月5日の記録より

 朝薄雪一寸許りなり 昨夜白兎を盗まれたりと妻報ず 起きてあたりをさがし それでも出でて寒雪にすくみ居らざるやと思ふも未練の残れる筋合いにてこの頃いづこかに兎汁となり居ると思へば 諦めたりと云へども惜しき心地す 世の中の誠にせち辛く人の心もおのづとあしく様々なりて盗む事も恥ずかしとも覚へずなり果つるこそうたてけれ

  気がかりの兎も遂にしてやらる

  盗まるる番が廻りし飼い兎

 句日記の復刻を手掛けた人は息子さんで、昭和19年10月の生まれ、毛筆書きの句日記の存在を知ったのは、父の死後、息子さんが大学生になってからということだ。

 日記には、買い出しと柿、甘藷など食べ物の記述が多い。兎も産ませて増やせる貴重な蛋白源だった。日記の文ではそれを理不尽に奪われた憤り、情けない世の中を憂う気持ちが率直に記述されているが、添えた句はどこか諦念しているようにも見える。

 一方、12月10日の日記には、汽車の切符が買えず数時間要したとあり、次の句がある。

  甘藷負ふさつまの守もきめられず

 平家の薩摩の守忠度のタダノリー只乗りというシャレを使い、甘藷と薩摩芋を掛けている。

 作者は日記を綴ることで苦しい日々を生き抜いて来たのかも知れないと、私は僭越ながら思い至った。そしてその中に俳句の功徳もあったのではと思う。

 1月10日の日記には

雪一尺五寸 入植の腹こしらへに兎締む

 と記されている。人は明日を生きるために獣を絞めて食べてきたのだ。

 宇多喜代子は角川俳句大歳時記の「薬喰」の解説で次のように述べている。

 「冬に体力をつけるために、鹿、猪、兎などの肉、また乾鮭などを食べること。いずれも体を温め、血行をよくする。これらを食べることを厭った時代があったため、薬として食べたり、猪を山鯨と称して食べたりしていた。広義には獣肉や魚類に限らず、寒中に滋養になるものを食べることをいう。」

 その後、この句日記を復刻した人とは、月1回ある会合の前に約1時間、句日記の読み合わせしている。その人も自分が復刻はしたのだが、私が質問すると、よくわからない箇所があったりして面白い。あらためて互いの知識や感性を総動員して、だんだん不明なところの輪郭が見えてくる。その遅々とした共同作業がとても貴重なことに思える今日この頃だ。

(以上)

◆「兎―季語の背景にあるもの」:外山安龍(とやま・あんりゅう)◆

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