関西現代俳句協会

2024年1月のエッセイ

運に恵まれて

志村宣子

 幼い頃から病弱で病気のデパートの様な体だと思って育ってきた。
 幼稚園の時は高熱でペニシリンを打ち鯉の生き血を目隠しで飲まされた。
 体に良いものすべて両親は試していた。でも歩けなくなり学校に行く前に治さなければと歩行練習をした。猩紅熱にもかかった。
 臆病な私の一面は学芸会にも影響した。各クラスの代表が並び「私の将来の夢」を語るのに選ばれたが5人が1列になりそれぞれの夢を語りゆく中、私の順番がくると人の後ろにまわり「私の夢は」と語りだした。恥ずかしくて自分の姿を隠してしまった。

 高校生の時、肺を病み1年間入院生活を送り留年した。その時の担任の先生に現状の手紙を書いてせっせと送った。
 卒業が近づいても無理の効かない体だから何もかも諦めていた私に学校推薦でとある化学の研究所に就職することができた。受付という仕事で体に余り負担が無かった。
 ある日、京都の八坂神社の占い師に手相をみて頂くと「あなたの両手は三奇紋という素晴らしい運を持った手相ですよ。運命線、太陽線、財運線が扇形に成っていて将来が約束されているから」と硬い握手をして下さった。その言葉に希望を抱くように成っていった。

 それからは仕事がたのしくなり来客にコーヒーの香り付けと称しブランデーを少し入れて出したり、靴をそっと磨いて置いたり、社長の不機嫌な時は美味しい紅茶を差し出した。

 研究所の裏には染色の工場があり学校出たての男の子達が私をおばさん呼ばわりしてくれて仲良くなり彼方此方遊びに出かけた。

 ある時、嵯峨の渡月橋に乗船所がありボートに載せてあげるとボートを漕ぎ出したが流されて先に進まない。
 すると救助隊がきて「君、ボート漕いだ経験あるの」と聞かれた。「いいえ」と答える私に「どうして乗ろうと思ったの」「皆が楽しそうに乗っているから私も簡単に漕げると思ったの」物凄く叱られた。

 大学院生の主人が研究所にアルバイトに来ていて縁があり、結婚して宇治に住み子供に恵まれて幸せだった。

  ある日、左の掌にデュピュイトラン拘縮が出来、手術をすることになった。約束されていた三奇紋が手術のために歪んでしまった。
 恵まれていた生活の中、息子と主人が相次いで亡くなった。主人が残していった会社の継承や何やかやと途方に暮れる中、運良く長女が家庭裁判所の調査官だったので助言してくれた。
 嘆いても仕方ない、まだ片方の三奇紋が健在であると、希望に繋いだ。

 それからは人との出会いの運に恵まれた。特に俳句関係の方々との思わぬご縁を頂いた。
 おこがましくも関西現代俳句協会の副会長をさせて頂いているのはまだ健在に右の掌に残る三奇紋のお蔭だと有難く思っている。
 傘寿に成った今、娘達家族や暖かい人達に恵まれ支えられ感謝して過ごしている。

(以上)

◆「運に恵まれて」:志村宣子(しむら・のりこ)◆

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