関西現代俳句協会

2024年4月のエッセイ

「夏への扉」

新井博子

 「夏への扉」といえば、ロバート・A・ハインラインが1956年に発表したSFでタイムトラベル小説の名作だ。
 筆者も小中学生の頃、探偵小説とSF小説に没頭していた時期があり、このタイトルには懐かしさがよみがえる。
 このタイトルを冠して、17歳から20歳までの句を綴った第1句集を刊行し、21歳から20年近く句作を絶った俳人がいる。
 彼は16歳で句作を開始。この句集のあとがきの、「夏への扉」の主人公を自分と重ね合わせた文章はこんなふうに始まる。

「『夏への扉』(ハインライン)の主人公ディヴィスのように、私の胸には生まれたときから冬が住まって、私はひたすら夏への扉を探し求めていたといえる…」

 この句集の著者は今から1年前にこの世を去り「飛島のランボー」と呼ばれた俳人、齋藤慎爾だ。
 齋藤慎爾全句集は元々筆者の手元にあったが、第1句集『夏への扉』初版本との出会いは、2016年6月に、山形に1人旅をしたときの事。
 立石寺の帰りに小さな古本屋に寄った。山積みになった本が所狭しとある店内で店主とよもやま話をしながら俳句関係の古本を探した。
 そこでこの『夏への扉』を見つけたのだ。
 齋藤慎爾は、山形の飛島という小さな島出身で、ひょっとしたら彼関係の本があるのではと思っていたが、やはりあって嬉しかった。
 店主は偶然だが彼の事をよく知っていて、話が弾んだ。
 彼の出身の島、飛島のパンフレットまでいただいた。
 こうして齋藤慎爾第1句集『夏への扉』に彼の故郷で巡り合うことができたのだ。

 飛島は、酒田市の沖合にあり、酒田港から定期船で75分。
 戦時中彼の両親は満州で、敗戦と同時に父の故郷、飛島に引き上げてきた。
 島の暮らしについて、後に彼自身がインタビューで精神的にかなり悲惨な生活だったと述べている。
 島には小中学校しかなく、高校は酒田へ。進学した酒田東高1年の時に、高校教諭の俳人秋澤猛(「天狼」「氷海」同人)と出会う。この出会いが俳人齋藤慎爾を生む。
 「天狼」「氷海」を読む早熟な高校生だった。誓子、不死男、三鬼に影響を受けたという。
 山形大学に入学。 時は安保闘争の最中。21歳で句作を絶つ。大学新聞に小説を発表し、井上光晴に激賞された。
 23歳で大学は中退し24歳でたった1人の出版社「深夜叢書社」を設立。吉本隆明、五木寛之、中井英夫、武満徹、春日井健、寺山修司等々、多くの知己を得てゆく。
 そして40歳で第1句集「夏への扉」刊行。栞には三橋敏雄。五年後、齋藤慎爾は朝日新聞社の朝日文庫「現代俳句の世界」を1人で手がける。この解説を全て書いたのは三橋敏雄だ。そして解説の三橋と、この朝日文庫全16巻に取り上げられた俳人の人選は全て齋藤1人の手になる。恐るべき慧眼。
 自身は50代になってから3冊の句集を出し、評伝等、多くの著作がある。膨大な知識と卓見から自著はもちろん、多くの名著がフランスのレジスタンス運動に憧れて命名したという「深夜叢書社」から次々と生まれた。
 昼の星は見えない。夜になれば輝く星は姿を現す。夜の出版社、深夜叢書社の本は、そうしていつの時代にも、夜の闇の中をいっそう輝きを増して、人々に読み継がれることだろう。
 話を第1句集に戻そう。装丁は司修。美しい本だ。帯文は、埴谷雄高と井上光晴。冒頭の20歳の句、そして16歳の句集最後を飾る句をここに記して、1年前の春、3月18日にこの世を去った孤高の俳人を偲びたく思う。

  天金こぼす神父の聖書秋夜汽車  (20歳)

  新緑の道ゆく少女眉青し     (16歳)

(以上)

◆「『夏への扉』」:新井博子(あらい・ひろこ)◆

▲今月のエッセイ・バックナンバーへ