2023年12月のエッセイ
俳句小屋「げんげ」
西谷剛周

Facebookで「いいね」をしたりコメントを入れたり、時々俳句についてのやり取りはしているが会ったこともない俳人が100人余りいる。
昨年そのうちの一人、神奈川在住の女性俳人から「2泊3日で奈良吟行に行くのですが、坪内稔典さんが桃源郷と紹介されている斑鳩のげんげ田で句会をお願いできませんか」という依頼が来た。
会ったことはないのだが、Facebook繋がりで以前に「夏雲システム」の選者を頼まれたこともあって、句の傾向も似通っていることから受け入れることに。
超結社の集まりだという「連の会」の会員が北海道から2名、神奈川から9名の11名と、「幻」からは19名、30人の俳人が俳句小屋「げんげ」に集合した。
こんな時に頼もしいのが「幻」の仲間だ。石釜のピザや鯛の塩釜、ローストビーフは10年以上の経験のある私が担当。
鮎や帆立、鹿肉の焼き方はプロの調理人が、草餅の丸め方、餡の詰め方は元和菓子職人が鮮やかな手つきで指導するので、稔典さんが感心するほど。
また東大寺直伝の大和の茶粥を焚く竈名人、酒宴での気配りは元営業部長、披講は現役のアナウンサーと贅沢すぎる人材に、紫雲英句会をするたびに感謝している。
以前、句集祭りで宇多喜代子さんから「剛周には過ぎた仲間やなあ。仲間に感謝しいや」と言われたことを思い出した。
初対面ながら、生ビールを呑みながらの旧知のような和やかな句会となったのは、俳人ならではのことだ。
後日、参加者のひとりである現代俳句協会研修部長のなつはづきさんから、礼状と共に紫雲英句会の全員の俳句を描いた絵手紙が郵送されてきた。
こうして俳句小屋「げんげ」の俳縁の輪が全国に広がってゆくことを実感。
俳句小屋「げんげ」の名付け親は、毎年ここで紫雲英句会をする坪内稔典さん。
「剛周さん、もっとこの俳句小屋をPRして、自由に俳人が集まる場所にしましょう」との提案がきっかけで、活動が広まった。
春には三室山の桜と特産の梨の花、近くの川ではバシャバシャと鯉の乗込みが始まる。空にはうるさい程の揚雲雀と鳬の鳴き声。
夏は麦秋と麦の収穫。麦の収穫が終わると田植、早苗田から青田へ。白鷺やゴイサギが餌を求めて青田に降りて来る。
青田にはオレンジ色の田鰻が泳ぎ、ジャンボ田螺が畦や擁壁をよじ登り、ピンク色の卵を産卵する。これが令和の田舎の風景。
田の水を抜いて田の表面が割れる程干す土用干し。この土用干しで、稲の根が水を求めて網目状に伸びて稲が強くなるとともに、稲刈時のコンバインが沈むのを防ぐ。
土用干しからしばらくして稲の花が咲く。それから45日ほどで稲刈。稲刈りが終わると1週間足らずで周辺の景色は刈田から田仕舞の煙が上がる。
それが済むと穭田と冬の景色に一転する。俳句小屋は季語の宝庫。
またこの農小屋は私の書斎でもある。手作りの本棚に句集がずらりと並び、ロッキングチェアで薪ストーブの炎を眺めながら珈琲を飲むのが至福のひととき。たまに鼬が顔を出す場所でもある。
作句に行き詰まると気分転換に薪割り。ダイエットに効果的だが、直ぐにリバウンドする。
時々プラターズやビートルズのレコードを聴くが、つい聴き入って作句が出来ないので、最近は自粛している。
今春に畑に自生している烏瓜の種を採取して、四阿の傍の柵添いに植えて烏瓜の花見を計画しているのだが、まだ芽が出て来ない。
俳人と日暮れから咲き始め、夜明けとともに閉じる白いレースを広げたような烏瓜の花見を出来たら最高だろうなあ。
げんげんの浮力二人で寝転んで 剛周
妖艶の極み烏瓜の花
この紫雲英句会も最初の立岩利夫さん時代から数えると30年近くなる。
この間小屋を増築し畳敷きのスペースや台所を設置。
屋外には法隆寺の時鐘が聞こえる四阿、洋式トイレ、石釜、燻製釜、二上山の夕陽を見るための2人乗りのブランコと時間をかけて設備を整え、30人は句会が出来る規模になった。
しかし集まったら句会をするという場ではなく、この日ぐらいは作句を忘れて呑むのが桃源郷ではないかと思うようになった。
せっかく生ビールのサーバーや岩魚の骨酒の銚子、日本酒の合升を揃えているのだから、来年からは俳句小屋「げんげ」を、俳人が俳句を忘れる場にしようと考えている。
(以上)
◆「俳句小屋『げんげ』」:西谷剛周(にしたに・ごうしゅう)◆